節分 恵方巻・豆まき


節分と豆まき・・・・・

節分は、季節の分かれ目で立春・立夏・立秋・立冬の前日を言いますが。節分が立春の前の日を指すようになったのは、冬から春になる時期が新年を迎えるにも等しい大切な節目だったため、室町時代頃より節分と言えば立春の前日だけを指すようになりました。

節分に豆をまくのは、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えており、新しい年を迎える前に邪気を払い福を呼び込むために、宮中の行事として追儺(ついな)と言う行事が行われるようになり、その行事のひとつ、豆打ちの名残りが豆まきと言われています。

なぜ大豆をまくの・・・・・

大豆は五穀の一つで穀霊が宿ると言われ、お米に次いで神事に用いられてきました。お米より大粒で悪霊を祓うのに最適であり、魔の目(魔目まめ)、魔を滅する(魔滅まめ)にも通じる事です。昔、京都の鞍馬山に鬼が出たときに、毘沙門天のお告げで大豆を鬼の目に投げ退治したと言う伝承もあります。豆まきの豆は炒り豆、生豆は拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いとされ、炒るが射るに通じると言われています。

節分に食べる恵方巻

恵方とは、その年の干支によって最も良い方角の事で、その方向に歳徳神と言う神様がいると言われています。その恵方に向かい巻寿司(太巻)を食べる事から、恵方巻と呼ばれるようになった。恵方巻は、目を閉じ、願い事を思い浮かべ、恵方に向かい無言で1本丸ごと丸かぶりする事から丸かぶり寿司、丸かじり寿司とも呼ばれます。切らずに1本丸ごと食べるのは、縁を切らないと言う意味が込められており、具材は七福神にちなみ7種の具材が入れられ、福を巻き込むと言う願いも込められています。恵方巻の起源は、江戸時代期、大阪の船場で商売繁盛を祈願をする風習として始まったと言われえています。一時、この風習は途絶えましたが70年代後半に復活し、関西では一般的な風習となり、今では、全国に広まり、節分の大きなイベントになりました。

※記載の内容は諸説あります。